2010年6月18日金曜日

Date/10.6.11 (fri) 父




日記には書かなかったが、昨日、71歳の父が5年前に手術を施した怪我の回復が思わしくなく検査入院した。
会社を休んでの付き添い。別段何の用事をしたわけでは無かったのだが、写真を撮るのが億劫になり何も撮れずに終わる。



この日は溜まった仕事の処理に追われていた模様。写真はしっかりお昼休みに撮っていた。
だが、一週間経った今見返してみて、ブログに掲載する気になれずにいる。



死ぬまで人として凛と生きるのは難しいことなのかもしれない。
人として真っ当に余生を過ごせる人間性を養う機会はあったはずだと思う。でも、彼は見逃してしまったのだろう。
よくあることだ。



しかし、同じ遺伝子を継いでいる者として、将来の自分を目の当たりにしているようで気が重くなった。
結局そうなってしまうかもしれないが、自分なりに抵抗は続けて行きたいと思う。



Camera : ???
Carl Zeiss Makro Planar 2/50 ZF

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

久々です。
お父さんには見舞い申し上げます。
ところで気になったのですが、
父親が人間性を養う機会を見逃したというのは、何か父親の人間性に欠落があったと感じている、ということかい?
同じ遺伝子を継いでいることで気が重くなったというのは、自分も人間性が欠落しているかも知れないと感じたからかい?

でも、多分それは違うと思う。
efu3さんがそう感じるのであれば、同じ遺伝子を持つ父親自身もそのことは分かっていたはず、と思う。
efu3さんと同じでうまく伝えられなかっただけじゃないか?
自分が父親になって子供に何を伝え、何を残せるか、考えるほどに難しいと毎日感じるているよ。

それと、既に父親を亡くした者として言わせてもらえば、親が子供を育ていろんなことを教える中で、最後は自身の死をもって教えられることがある。
僕の場合、"自立"だったと思う。
それまでも大人だし、経済的・社会的には自立していても、父親がいなくなると、残された母親のこと、家のこと、自分の家族や親せき、父親の勤め先や友人などへ、死んだ父親に恥じないようにちゃんとしなくてはと思うけど、それを相談したい父親自身がもういない。
自分が引き受けて判断しなければならないことに気付かされる。

父親からの最後の教えをどう受け止め、何を学ぶかはefu3自身の問題だな。
抵抗することも学ぶことの一つの形とは思うけど、父親の人間性の問題など、もはや関係ないと思うよ。

QZ

FTNzPhoto さんのコメント...

えー。。。
返事が遅くなってしまったね。
まぁ、小学校からの友人だから許してくれ。

コメントありがとうね。Qzなりの気遣いありがたいと思っておったよ。父の検査やら何やらで気持ちに余裕がなかったかな。

来週に検査結果、医師の診断、今後の家族の対応などで話し合う機会を持ちとりあえずは一段落つくはずだ。
まぁ、これからはじまるんだけどね。

最悪の場合、父が、私を含め家族のことを、供に生きた日々を忘れてしまう事はつらいだろうなと、今ぼんやりと考えている。

とにかく家族全員で受け止めなければいけない現実なので、冷静に対応していこうと思う。

それと、音楽のライブの写真を撮らせて欲しいのだけれど、あれから音沙汰が無いし!どうなってんねん!
あー、じれったくなって来たから木田とか中川君に連絡するぞ!@謎