2010年5月29日土曜日
Date/10.5.22 (sat) 懐かしい場所
午前中に仕事を済ませて、午後、4月にあった撮影会の打ち上げに参加するため京都へやってきました。
友人のcolact君(仮名)と夕刻の待ち合わせまでの時間を利用して、大昔自分がアルバイトしていたジャズのライブハウスがあった場所を訪れてみることにしました。三条木屋町を下がった高瀬川沿いの雑居ビルの7階にあった『Lady Day』という小屋です。
『Lady Day』。。。マスターは、ビリーホリデーとその時代の音楽をこよなく愛し、同志社大学卒業、学生運動経験者、ヒョロッと背の高く、インテリなインド人みたいに神経質そうな風貌。だけど、営業中に客と本気で呑んでしまうことが度々で、そんな時はただのエロいわがままオヤジになってしまう変なおっさんだった。
随分前に店は閉めてしまったってことは風の便りで知っていたのだけれど、とりあえず見届けたかったわけです。
行ってみたら本当に何の痕跡もなくなっていた。ただの古くて汚い雑居ビルの一角があるだけ。19歳だった私と、60代、50代、40代のおじさんおばさん、30代、20代のお兄さんお姉さんたちと笑ったり、騒いだり、褒められたり、怒られたり、いろいろあった時間と空気と言葉はどこにも見当たらず。行き場を失ったまま裏の倉庫にみんなして隠れてるんとちゃうかと思ってそのぞいてみたけどビールのケースが積まれてただけだった。
そういう所をスナップするべきなのだろうけど、みっともないような気がしてヤメてさっさとビルを出ることに。
近くに中古カメラ店が2件ほどあり、見て回る予定にはしていたのですが、それにしてもちょいと時間が余りそうだったので、当時でも勤めていた店の先輩格にあたる有名店『BLUE NOTE』へ足をのばしてみる。
こちらも雑居ビル。でも、1階にある。しかし、まぁ、こんな廊下が狭かったんやと?
この日は土曜日。土日は大昔みたいに午後6時までコーヒータイムをしていた。少々高くても店の雰囲気撮らせてもらえるかもしれないからこの際突撃だったのかもしれないが、あの、あの、あの、あの、くーーーーーーーーーそ不味いコーヒーを己の人生で二度味わうことには耐えられず、そこは大人しく中古カメラ屋へ向かうことにするのでありました。
そうそう、おまけです。BLUE NOTEの奥に高校生の頃お世話になった京都では伝説の『ロック喫茶!』=>『治外法権』がまだあった!
私が現役の頃は、ココよりもうちょっと南に下がったところにある『Jum House』がお気に入りでした。当時、両店とも大音量でハードロックを流してたんだけれど、治外法権のほうが凄まじく、音楽というより爆音を浴びるために行くような感じで正直しんどかったのを覚えています。
で、ココを出て中古カメラ店を巡回し友人と合流し飲み会へ突入。久しぶりにお酒を呑んで大声で笑えて楽しいひと時を過ごすことができました。自分の生活の中に写真とカメラが良い潤滑油としてあることに感謝せねばなりませんなぁ。。。
Nikon F3 HP
Voigtländer ULTRON 40mm F2 SLII Aspherical
Kodak SUPER GOLD 400
2010年5月28日金曜日
Date/10.5.21 (fri) 皇紀二千六百年
5月も中旬を過ぎました。
路地の家々の玄関先に植えられている紫陽花のつぼみが目につきだしました。来週辺りからどんどん咲き始めるのでしょうね。
この日は乾いた晴天。太陽が痛々しいまでに差し込んでました。極端な天候が続きます。
会社の近くにこんな石碑が残っています。
『皇紀二千六百年記念』
ググってっみると、
神武天皇即位紀元は、西暦より660年大きな値となる。。。皇紀通算の使用は、江戸時代後期の1840年代から1860年代にかけて、藤田東湖など国学者が用いた事が始まりで。。。国家の紀元を神武天皇の即位に求めること自体は、『日本書紀』以来の一般的認識であった。
戦前までの日本では、皇紀による元号の外に皇紀通算がよく使用されており、単に「紀元」というと皇紀通算を指していた。
なのだそうで、この二千六百年といえば昭和15年(1940年)にあたり、全国的に国を挙げての盛大な式典など執り行われたとのこと。
で、ちょっと想像してみました。
1940年に自分が今と同じ45歳だったとして、
→1931年 満州事変が勃発!その後、日中戦争に突入、破竹の勢いで大陸を制覇していた!→私、36歳。
→1914年 第一次世界大戦勃発!アジアにおけるドイツの植民地において陸海軍とも激戦に勝利!→私、19歳。
→1904年 日露戦争勃発! アジアの弱小国家が列強ロシア帝国を制する!→私、9歳。
→1894年 日清戦争勃発! 眠れる獅子、強大清国を破る!→私、産まれる前年。
つまり、私はこんな日本で過ごしたことになる。
幼年期→念願だった脱亜入欧を果たす!
青年期→列強と並び立つ国家に成長!
成人期→外交もまずまず、実績が認められ国際連盟の常任理事国入り!
→五族協和の理念のもとアジアのリーダーとなるべく立ち上がる!
この時点で日中戦争では膠着していたとはいえ、ほぼ、10年ごとに戦争を繰り返しては『一度も敗北の経験のない』『常に対外的な優位と成長を続ける』、まぁ、すごい強烈な国家だったわけですね。
そして、翌年の1941年、アメリカとの戦争に突入してしまう。
現代の視点にたって私たちは、あの頃犯した日本人行動を愚行として捉える傾向があるようですが、こうやってシュミレーションしてみると、その時自分の判断はどうだったのだろうかと確信を持てません。
朝刊を手にして、案外、『戦争?アメリカと?まぁ今度も勝てるだろうけど、出来るだけ早く終わって欲しいものだね。さて、今日は何を撮りにいこうかな。。。』ぐらいに思っていたかもしれませんなぁ。。。
私には、その時、その場にいないと判らんことが多いです。一瞬一瞬を迷いながらも大切に出来たらいいのですがね。なかなか難しいものだと思います。
minolta XD
MD ROKKOR 50mm 1:1.4
CENTURIA 100
路地の家々の玄関先に植えられている紫陽花のつぼみが目につきだしました。来週辺りからどんどん咲き始めるのでしょうね。
この日は乾いた晴天。太陽が痛々しいまでに差し込んでました。極端な天候が続きます。
会社の近くにこんな石碑が残っています。
『皇紀二千六百年記念』
ググってっみると、
神武天皇即位紀元は、西暦より660年大きな値となる。。。皇紀通算の使用は、江戸時代後期の1840年代から1860年代にかけて、藤田東湖など国学者が用いた事が始まりで。。。国家の紀元を神武天皇の即位に求めること自体は、『日本書紀』以来の一般的認識であった。
戦前までの日本では、皇紀による元号の外に皇紀通算がよく使用されており、単に「紀元」というと皇紀通算を指していた。
なのだそうで、この二千六百年といえば昭和15年(1940年)にあたり、全国的に国を挙げての盛大な式典など執り行われたとのこと。
で、ちょっと想像してみました。
1940年に自分が今と同じ45歳だったとして、
→1931年 満州事変が勃発!その後、日中戦争に突入、破竹の勢いで大陸を制覇していた!→私、36歳。
→1914年 第一次世界大戦勃発!アジアにおけるドイツの植民地において陸海軍とも激戦に勝利!→私、19歳。
→1904年 日露戦争勃発! アジアの弱小国家が列強ロシア帝国を制する!→私、9歳。
→1894年 日清戦争勃発! 眠れる獅子、強大清国を破る!→私、産まれる前年。
つまり、私はこんな日本で過ごしたことになる。
幼年期→念願だった脱亜入欧を果たす!
青年期→列強と並び立つ国家に成長!
成人期→外交もまずまず、実績が認められ国際連盟の常任理事国入り!
→五族協和の理念のもとアジアのリーダーとなるべく立ち上がる!
この時点で日中戦争では膠着していたとはいえ、ほぼ、10年ごとに戦争を繰り返しては『一度も敗北の経験のない』『常に対外的な優位と成長を続ける』、まぁ、すごい強烈な国家だったわけですね。
そして、翌年の1941年、アメリカとの戦争に突入してしまう。
現代の視点にたって私たちは、あの頃犯した日本人行動を愚行として捉える傾向があるようですが、こうやってシュミレーションしてみると、その時自分の判断はどうだったのだろうかと確信を持てません。
朝刊を手にして、案外、『戦争?アメリカと?まぁ今度も勝てるだろうけど、出来るだけ早く終わって欲しいものだね。さて、今日は何を撮りにいこうかな。。。』ぐらいに思っていたかもしれませんなぁ。。。
私には、その時、その場にいないと判らんことが多いです。一瞬一瞬を迷いながらも大切に出来たらいいのですがね。なかなか難しいものだと思います。
minolta XD
MD ROKKOR 50mm 1:1.4
CENTURIA 100
2010年5月27日木曜日
Date/10.5.20 (thu) 刃物研ぎ
会社近くのスーパーの店先で毎週木曜日に刃物研ぎの出店をひらくおっちゃん。
お昼休みに上手くタイミングが合ったようで、おっちゃん出刃を研いでる真っ最中。
思い切って声をかけてみました。
「おじさん、こんにちは! あの、研いだはるとこ、写真撮らせてもおてもいいですか?」
「。。。」
まずは、不信感全面の雰囲気。
「趣味でいろいろ写真を撮っておりまして、おじさんの手仕事してはる風情がええなぁと思て声かけさせてもおたんです。どおですかぁ?」
「手仕事」のところでググッと反応あり!いける!
「。。。手仕事いうてもなぁ。。。」
「いえいえ、立派な手仕事や思いますよ!お仕事の邪魔はしません、何枚か撮ったらササッと引き揚げますので。お願いします。」
「。。。ほんなら。。まぁ。。。」
交渉成立!と思いきや、
おっちゃんを余程緊張させてもおたみたいで、元々帽子を深々と被ってはったのだが、そこまで集中せんでもええやろにと突っ込みそうになるぐらい、研いでる出刃の刃先に神経持っていくもんやから雰囲気ガチガチ。おまけにそれ見てるこっちまで堅くなってしもた。。。
結局3枚しか撮れず残念な結果に。。。
撮り終えて、「ありがとう!」と挨拶するとやっと目線を上げてこちらをみつめつつ一言、
「写真、好きやねんなぁ〜」と云っていただいた。
「はい、好きです!」と応えてその場を去った。
これ以上の応援の言葉はありませんなぁ。祖で触れ合うも多少の縁なんですね。とても幸せな気分にさせてもらった。
改めて「おっちゃん、ありがとう!」
minolta XD
MD ROKKOR 50mm 1:1.4
CENTURIA 100
2010年5月26日水曜日
Date/10.5.19 (wed) Sellow!
ヤマハのセローというオフロードバイクがあるのですが、発売25周年なのだそうです。
素直で粘るエンジン、足付き性の良さでツーリングバイクにはもってこい。
でも、見栄っ張りな私は海外や一部国内のエンデューロレースで好成績を出していたカワサキのKDX200Rに乗っておりました。
結局レース等はせずにひたすら旅バイクでしたけどね。
あの頃はバイクに夢中でした。毎月バイク雑誌を購読しては新製品のインプレッションや連載のバイク乗りこなし講座なんかを読みふけってたなぁ。。。
25年経っても、バイクがカメラに変わっただけで行動パターンが変わっていないのには困りものですな。でも今は、あの頃よりははるかに攻めている、そして、楽しんでいる自分を実感出来ています。なによりだねぇ。。。
ああ、バイクかぁ。。。
風、気持ちよかったなぁ。。。
minolta XD
MD ROKKOR 50mm 1:1.4
CENTURIA 100
2010年5月25日火曜日
Date/10.5.18 (tue) 改めて
2010年5月24日月曜日
Date/10.5.17 (mon) 人物
昨日もお話しした通り、この日の写真はありません。
で、以前の日記「Date/10.4.29 (thu) どっぷり、昭和町だそうです。」に掲載しなかった写真を改めて載せようと思います。
あの時書いたのは、祭りというのは神様に対してお祈りしたり、感謝したりするということが主役の行事なのであって、町興しの名を借りて、見世物小屋での客集めでもって、見かけと収支の帳尻を合わす必要があるイベントというのは、端で見ていて痛々しいものがあるという趣旨でした。
ただ、客寄せパンダ役のDJや釣られて集まった観客には罪はないわけです。
彼は彼なりに依頼主からの要請に応えるべくプロとして恥ずかしくないパフォーマンスをしたまでだし、客は客なりに日頃からリスペクトしているアーティストを目の前に興奮し、陶酔し、喜び、叫んでいただけの話。
とりあえず、双方が発する強烈な気が独特の『場』を造り出していたわけで、私は私で街中を歩き回った疲れも、とりあえずいったん脇にやって、その『場』の力に惹かれ自然と中へ突入した次第。
冷静にファインダーからfindしてたつもりだけれど、意識していなかったのもが写ってしまっており、またそれを意識していればもっと違う動きが出来たし、もっと良くなっていたのにと悔やまれるのが反省点。
反省しているという事は『次』に人物を撮れる機会を望んでいるわけで、魅力的な人物写真を撮れるようになりたいものだと考えております。
ただ、ココに掲載した写真に写っている人々には何の了承も得ておらず、もしかしてこれは犯罪とか訴訟とかに発展するもしれません?!
まぁ、自分が撮った写真なので何かがあっても最期まで面倒を見ようと考え直し、今回掲載することにしました。
集った人々の表情が良い。私はとてもとても好きです。だから撮ったというだけではいけないのでしょうかね。
SONY DSC R1
Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 14.3-71.5mm(24-120mm) F2.8-4.8
2010年5月23日日曜日
Date/10.5.16 (sun) 大念仏寺
大阪平野区にある大念仏寺。
大阪府下、最大級の木造建築のお寺です。
4年前にはじめて訪れました。
4月の中旬でした。本堂の大きな軒の下、吹き通る風にすがすがしさを感じながら、京都に住んでいた頃の事を思い出し懐かし気分になったのを覚えています。
祈る人の姿がちゃんと風景になっているお寺だと思います。
信仰心というのは良いものだなと感じるようになりました。
この日はD80に望遠をF3に広角と標準画角で挑んだんですけどね。。。
F3にフィルム装填するのをまた、、、また、忘れてしまったのです。。。必死になって馬鹿みたいに空シャッターを切ってたわけです。
で、肝心の広々とした境内の様子を記録する事が出来ずじまいの顛末。
我ながらお粗末な一日。
Nikon D80
SIGMA 50-200mm 1:4-5.6 DC OS HSM
大阪府下、最大級の木造建築のお寺です。
4年前にはじめて訪れました。
4月の中旬でした。本堂の大きな軒の下、吹き通る風にすがすがしさを感じながら、京都に住んでいた頃の事を思い出し懐かし気分になったのを覚えています。
祈る人の姿がちゃんと風景になっているお寺だと思います。
信仰心というのは良いものだなと感じるようになりました。
この日はD80に望遠をF3に広角と標準画角で挑んだんですけどね。。。
F3にフィルム装填するのをまた、、、また、忘れてしまったのです。。。必死になって馬鹿みたいに空シャッターを切ってたわけです。
で、肝心の広々とした境内の様子を記録する事が出来ずじまいの顛末。
我ながらお粗末な一日。
Nikon D80
SIGMA 50-200mm 1:4-5.6 DC OS HSM
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