2010年5月22日土曜日
Date/10.5.15 (sat) 。。。女子カメラの深淵
先輩フォトグラファーのkuryさんがtwitterでつぶやいておられたサイトを全文とおして読んでみました。
その記事に対してkuryさんがどのように感じておられるのか、あのtwitだけでは判らないのですが、私は日々撮り、日々ブログにアップしている人間として非常に興味深く読ませてもらいました。
今の自分にあてはまる一文を記しておこうと思います。
『写真は自分を支え探るための道具です。いい写真だね、と言われることは自分への評価ですから、いつもそんな褒め言葉を望んでいるんです。その一言がしんどい毎日の糧になるんじゃありませんか』
良い風に言えばそうなのだけれど、裏を返すと自意識過剰、認められたいという欲望にズッポリ埋もれている自分がしっかり居るわけです。
私は幼い頃からずっと自分の居場所を探してきた。常に周りの人々との間に違和感を感じつつずっと見つけられませんでした。
家庭と仕事と趣味の写真。
今は、それら生活の中に自分の居場所があると思い込んでいますが、これまでと同じように幻想の繰り返しなのかもしれません。
もし、そうであっても今度は後悔をしないよう、それぞれの事柄に対して真摯に取り組んでいくしか道はないと考えています。
そういう日々を過ごすことで、いつの日にか救済された自分を見つけることができるかもしれませんから。
まぁ、しかし、、、
いつもながら、いちいちオーバーでしたね。。。
Nikon F3 HP
Voigtländer ULTRON 40mm F2 SLII Aspherical
CENTURIA 100
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4 件のコメント:
つまらないつぶやきでご迷惑かけてます(笑)
えーとですね。この記事を私が下らないと談じたのは、簡単に申し上げれば次のとおりです。
1.写真ブームを「女子」というキーワードで括ってしまっていること。
記事の中に登場する女性たちの写真と自身との有機的因果関係にはなんら違和感は持ってません。また、昨今の写真ブームで女性層が増えたということは、体感的にもおそらく事実だと思います。
しかし、現在の写真ブームがとりわけ「女子」をキーワードとするほどのものでしょうか。私は否と考えます。
それではなぜ「女子」なのか。それはこの記事が
2.日経グループによるもの
だと思うからです。
写真と女子を強烈に結びつけたがっているのは、キャノンやオリンパスなどのメーカーです。これらの会社の商品開発とイメージ/広告戦略をみれば一目瞭然です。
そして日経といえば、「企業との癒着によって成り立っている」メディア企業体です。
ここまで申し上げれば、この記事を私が「下らない」と断じた真意を酌んでいただけるでしょうか。
企業とメディアの癒着。これが単純に金主対掲載広告、という構図ならなんら問題ないわけですが、こうした準タイアップ的な記事が及ぼす不快感をメディア業界の片隅にいる者として激しく感じたわけです。
こういう文化的な意義の全くない(実在しない)ブームの構築というのは、写真に携わる全ての人間にとって大変リスクの高いことだと思います。
だから私は、このメディアによるこの記事は下らないと思うわけです。
ただしこれはあくまでも私の雑感ですのであしからず。
女子だから 男子だから
あんまし 関係ないんじゃねーの?
と突っ込みたくなる記事ですね
それぞれがそれぞれの感性で
まさに十人十色
男女の差なんて 大まかな個性の特徴でしかないのでは?
褒められたい&認められたい=報われたい
あたしにはあまり そういうのないかも。。。
芸術って自己主張の場なのであって
わがまま言いまくって世間に公表していいものな気がします
認められてもそうでなくても
それは世間がいうことだから~
なんてスタンスじゃだめですか?(笑)
あたしは好き勝手に撮っちゃいますよ^^
kuryさんへ
コメントありがとうございます。
こちらこそkuryさんのtwittをブログねたにしてすいませんでした。
kuryの本意が理解出来ました。
また、広告業界の内情についても勉強になりました。
40代も半ばにも関わらず未だに己を捉えられずにいる私のような人間は、メディアを操り商売する人達にとって恰好の餌食なのでしょうね。
この記事で『女子』というキーワードで括っていることに関しては違和感はありました。
しかし、本文でも引用しましたが、『。。。写真は自分を支え探るための道具です。いい写真だね、と言われることは自分への評価ですから、いつもそんな褒め言葉を望んでいるんです。』について、全てでは無いにしても少々痛い所を突かれたという意識があります。
自分の写真を世間へ向けて公開したのは『Zorg』がきっかけでした。見も知らぬ他人から好意的な評価をもらえるというのは単純に嬉しい体験でした。
己の写真する行為全体の中のたった一瞬でも、他者からの評価を気にする自分が100%いないとは残念ながら断言できません。
写真することは、己の精神的な欠落を療養するためのささやかな試みであると捉えている私にとって『他者から評価される』ことは外す事ができない一つの要素ではあります。
とにかく、難しい課題ではありますが、被写体に対して真摯に接し写真することを自分なりに深めていきたいです。
reiko+さんへ
私も男子、女子は関係ないと思います。
というか今は『カメラで写真を撮る』ことがブームなんだと改めて知った次第です。
もちろん、撮影しているときは、ひたすら被写体と己との関係、出来上がる写真へのシュミレーション、今この場面を自分はどうしたいのかという自己への問いかけに意識を集中しているので、余計な事を考える余裕はありません。
ただ、写真する行為全体を俯瞰してみて、その中に他者から評価されることを全く意識していないかと問われれば『否』というのが正直なところです。
また、自身のこれまでの経緯から、記事の中にあった女性達の心情に共感できた部分もありました。
私は、まだまだ、作品というレベルではなく、習作を重ねている段階なので何とも云えないのですが、『評価』というのは必ずついてまわるし、いずれ、好むと好まざるに関わらず向き合って行くものなのだろうと思います。
とにかく、今は自分の写真としっかり向き合っていきくことが先決だという姿勢ではおります。
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