2010年5月28日金曜日

Date/10.5.21 (fri) 皇紀二千六百年

5月も中旬を過ぎました。
路地の家々の玄関先に植えられている紫陽花のつぼみが目につきだしました。来週辺りからどんどん咲き始めるのでしょうね。



この日は乾いた晴天。太陽が痛々しいまでに差し込んでました。極端な天候が続きます。





会社の近くにこんな石碑が残っています。
『皇紀二千六百年記念』



ググってっみると、

神武天皇即位紀元は、西暦より660年大きな値となる。。。皇紀通算の使用は、江戸時代後期の1840年代から1860年代にかけて、藤田東湖など国学者が用いた事が始まりで。。。国家の紀元を神武天皇の即位に求めること自体は、『日本書紀』以来の一般的認識であった。
戦前までの日本では、皇紀による元号の外に皇紀通算がよく使用されており、単に「紀元」というと皇紀通算を指していた。

なのだそうで、この二千六百年といえば昭和15年(1940年)にあたり、全国的に国を挙げての盛大な式典など執り行われたとのこと。

で、ちょっと想像してみました。
1940年に自分が今と同じ45歳だったとして、

→1931年 満州事変が勃発!その後、日中戦争に突入、破竹の勢いで大陸を制覇していた!→私、36歳。

→1914年 第一次世界大戦勃発!アジアにおけるドイツの植民地において陸海軍とも激戦に勝利!→私、19歳。

→1904年 日露戦争勃発! アジアの弱小国家が列強ロシア帝国を制する!→私、9歳。

→1894年 日清戦争勃発! 眠れる獅子、強大清国を破る!→私、産まれる前年。

つまり、私はこんな日本で過ごしたことになる。

幼年期→念願だった脱亜入欧を果たす!
青年期→列強と並び立つ国家に成長!
成人期→外交もまずまず、実績が認められ国際連盟の常任理事国入り!
   →五族協和の理念のもとアジアのリーダーとなるべく立ち上がる!

この時点で日中戦争では膠着していたとはいえ、ほぼ、10年ごとに戦争を繰り返しては『一度も敗北の経験のない』『常に対外的な優位と成長を続ける』、まぁ、すごい強烈な国家だったわけですね。
そして、翌年の1941年、アメリカとの戦争に突入してしまう。

現代の視点にたって私たちは、あの頃犯した日本人行動を愚行として捉える傾向があるようですが、こうやってシュミレーションしてみると、その時自分の判断はどうだったのだろうかと確信を持てません。
朝刊を手にして、案外、『戦争?アメリカと?まぁ今度も勝てるだろうけど、出来るだけ早く終わって欲しいものだね。さて、今日は何を撮りにいこうかな。。。』ぐらいに思っていたかもしれませんなぁ。。。
私には、その時、その場にいないと判らんことが多いです。一瞬一瞬を迷いながらも大切に出来たらいいのですがね。なかなか難しいものだと思います。

minolta XD
MD ROKKOR 50mm 1:1.4
CENTURIA 100

2 件のコメント:

あのまのかりす さんのコメント...

これは石碑じゃなくて国旗掲揚台ですよ。上下に丸い穴が開いてるでしょ、そこにボルトで掲揚柱を固定したんです。

Unknown さんのコメント...

あのまのかりす さん

はじめましてでしょうか。
2年前の投稿にコメントを寄せていただき、正直、びっくりしました。
コメントの雰囲気からかなりお年を召した方でしょうかね。
コメントありがとうございました。